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案内犬「みんなが、楽しく暮らせる町が良いですよね」
バリアフリーというとなんだか、とても大変なことに聞こえます
よね・・?
何かそういう方に対する知識の少なさから、バリアフリーというと
なんだか大変なことのように思えて、避けていたようにさえ思えます。
でも、そんな私がバリアフリーという、言葉を強く意識するように
なったのは、ある出来事がきっかけでした。その出来事がきっかけで
バリアフリーにとても強い興味を持つようになり、
私も、バリアフリーという言葉を聞くと少し、重たい、大変な
問題のように思えて、無意識に話題から避けたりしていました。
でも、祖父が病気で体を悪くしたことがきっかけで、バリアフリー
ということに、とても関心を抱くようになりました。
それまでも、私自信の人生に迷ったときに、障害を乗り換えた
色々な人たちのお話から勇気づけられたりした経験もあり、
なんとなく、心の隅のほうには、バリアフリーなどに対する興味とい
うのはあったのですが・・・。(ヘレン・ケラーなどの伝記はとても
好きです。)
私の祖父が、くも膜下出血で倒れた後、体の半身が不自由に
なってしまいました。それがきっかけで、バリアフリーというのを、
意識するようになりました。
私の祖父は病気になるまでは、仕事で元気に外を動き
まわっていました。そんな祖父が、くも膜下出血で倒れ、病院から
退院したときから、体の半分が不自由になってしまいました。
それまで大きな病気などをあまりしたことがなく、外で体を
元気に動かして働いていた祖父が、一緒に町に散歩に出かけた
時に、歩くこともつらそうにしていたのが、とても印象深く心に
残っています。
体が元気だとあまり気にならないような段差などを、祖父が
とても歩きづらくしているのを見て、健常者が普段気がつかない
様な段差など、障害のある方にとっては、とても大きな障害に
なっていることがあるのだと、感じました。
私の祖父は杖を使えば、自分の足で歩くことが出来ましたが、
それでも、とても不自由を感じたのですから、車椅子などを利用
されている方にとっては、その数倍、大きな障害に感じるのでは
ないでしょうか・・? (・_・)
とても歩きにくそうに歩いている祖父をみて、方を貸し、体を
支えながら、一緒に階段などを昇りました。
神社の階段を一段ずつ登りましたが、その時は私が隣にいたので
登る事が出来ました、きっと祖父一人では階段を登ることはできな
かったのではないでしょうか・・?
やはり今の町のつくりというのは、基本的に体のどこにも障害が
ない人が達が生活しやすいように作られているんですよね。
車椅子の方や、どこか体に障害のある方が生活をしやすい
ようには作られていないんですよね。
当然、そういった方も生活しやすいようにするということ、
バリアフリーを進めるということは、多くのお金も必要になること
だと、思うので、思いつきですぐに改善するというのは難しいの
かも知れませんが・・・。
これからは、そういった人も自分自身で自由に町を
散歩したり買い物をしたりできるバリアフリーを充実した町作りを
していかなければならないと深く感じました。
♪((*^-^)八(^∇^*))♪
日本はこれから、少子化と高齢化という二つの問題を抱えて
どんどん若い人が少なくなってきています。お年を召した方が
増えると言うことは、当然、体に障害を持った方が増えるという
事にも繋がってゆくと思います。
また、人口が減ってしまったときに、必要になる、力というのは
体に障害を持った方達の労働力などではないでしょうか?
今後の日本の経済などを豊かにしてゆくためにも、お年を
召した方、体に障害のある方が気持ちよく、町で生活、
働くことのできる環境づくりがとても大切なことだと思います。
心と体のリラックスというテーマにも、バリアフリーというのは
とても、深い関係があります。
私達が、幸福に楽しく暮らすために大切なことの一つに
相手の気持ちを思いやるということがあります。
そんな、なんでもない小さなことが、実は私たちが健康で
幸福でいらるために絶対的に必要なことなのです。
自分が体が健康で関係ないから、障害のある人の気持ちなんて
どうでもいいという事では、少し寂しいですよね。
なにか、悩みがある方で、自分の悩みを解消したいという方が
いれば、障害のある方のために何か、ボランティアや、バリアフリー
を進めるための、活動に参加されてみてはいかがでしょうか・・。
きっと、心が優しい気持ちになって、悩みが軽くなりますよ。
♪((*^-^)八(^∇^*))♪
(このサイトは、何かの勧誘サイトではないですよ。笑・・。)

おサル「僕らの暮らしている街には、色々な人が
いるんだ。障害ではなくて、それは一つの個性なんじゃないかな」
バリアフリーとは一体どんな意味があるのでしょうか?
バリアフリーという言葉の意味ですが、
「障壁のない、さえぎるものがない」という意味であるそうです。
障害のある人が社会で生活をしてゆく上で、障壁となるものを
除去するという意味で昭和四十九年(1974年)に、国連の
障害者生活環境専門家会議というところで、バリアフリーデザイン
という報告書という報告書の中でこの言葉が使われ、そこから
この言葉が使用されるようになったようです・・。
もともとは建築の世界の、専門用語として、広く用いられていた、
言葉でありました。
私たちが生活をする、建物などの内部の色々な段差などを
無くしたりして、体が不自由な方でも生活をしやすいように
工夫をしたり、そういた、物理的な面での、障害物等を取り除く
様な事を表した言葉だったようです。
しかし、今ではそれだけの意味ではなく、バリアフリーと
言う言葉は、より広い意味で障害を持った方が、社会の中で、
生活をしてゆく上で、それを困難なものにしている、社会的な障壁や、また、社会の制度的な障害など心理的障害、等、広くそういった
障害を全て除去して、障害のある方も広く社会参加をして頂き、
活躍をしてもらうようにすることを、表したものになっています。
現在、そういった広い意味でバリアフリーと言う言葉は
使われているのです。
そういった障害者の方の社会参加を困難にしている、私たちの
社会の中のバリアフリーを必要としている事柄には、四種類の
ものがあると言われています。
バリアフリーを考える上で、バリアフリーとはどういっことが
あるのか把握しておく事はとても大切なことであると思います。
何がバリアフリーに必要なことなのか把握していなければ、
私たちが、バリアフリーのために何をしたらいいのかということも
わかりませんからね・・。
もっとも、代表的なバリアフリーを早急に必要としているものと
しては、物理的な障壁です?
道に段差があったりする事は、体に特に障害がなければ、
ほとんど気になることはないかもしれませんが、車椅子を
利用されている方や、お年を召した方などにとっては、大きな
障害になってしまう事があります。
また、道の幅員が狭く、車椅子をご利用されている方が
その道を通ることが、できないなど、そういった方の気持ちをまったく
考えて作られていないような道が、日本には、まだまだ沢山あります。
また、画面タッチ式の機械や施設などは、目の不自由な方には
非常に使いにくいものとなってしまっています。
そういったバリアフリーの問題というのは、まったく
悪気がない場合でも、障害のある方からすると、大きな障壁に
なってしまっていることがあります。
私自信も、タッチパネル式の券売機など、便利だという印象しか
ありませんでした。でも、それは、目の見える人だけで、非常に
使いにくく感じる方が沢山いるんです。
私達の暮らす街や施設などがもっとステキなものになってゆく
ために、いまよりもっと、障害のある方が、こういった風に
改善すれば、使い安くなる、利用しやすくなるといった意見を言える
場が多くなれば良いですね。企業などには、そういった場を作る
義務があると思います。
♪((*^-^)八(^∇^*))♪
社会的な理不尽な制度等も、障害のある方の社会の中での
活躍や生活に大きな障害になっています。
障害のある方が利用できない施設や、何らかの障害を理由に
資格を制限したり就職を制限したりすることは、大きな問題です。
盲導犬を連れた方が利用できない、飲食の施設など、
盲導犬への無理解のために許されないことが今でも行われて
しまっている事があります。
当然色々なケースがあるので、ここで全てを画一的に述べることは
できないかもしれませんが、ただ、多くの理不尽な差別が今でも
社会の中で残っていることは事実だとおもいます。
そういった、制度的な面での障壁をなくしてゆくのもバリアフリーの
大きなものの一つです。
こういった差別、偏見は障害のある方の心を傷つけたり、
してしまう事も多いので、よく考えなければならない問題ですね。
(´^`)ンン―‥
色々な意味で情報を手に入れる手段などで、障害のある方と
ない方で大きな格差が生まれてしまっていると言うことも、
バリアフリーを必要としている大きな事柄の一つです。
今はインターネット上のホームページでも、目の不自由な方でも
利用できるように声の出るようなサービスもありますが、そういった
サービスを今後もっと、広く利用できるようにしてゆく必要があると
思います。情報の格差のバリアフリーというと、意識をしにくいのですが、当然、目の見える方であれば、何の問題もなく、読むことの
できる書籍であっても、目に障害のある方であれば、まったく
読むことはできないわけで、そういったバリアフリーは気づき
難いものではありますが、これも考えなければならない事ですね。
そして、意識的な面でのバリアフリーというのも、
求められています。
障害のある方のことを、良く知らないための勘違いから
心を傷つけるような発言をしてしまったり、車椅子の
駐車スペースに自転車を駐車したり、点字ブロックの上に、看板を、
置くなど、そういった、ことがなくなるようにしてゆくことも、
バリアフリーの一つです。
バリアフリーを考えるときにこういったバリアフリーに
対する無理解に始まっている、問題が多いように感じます。
バリアフリーを進める上で、何らかの障害のある方とできる限り
一緒に何かをしたりする機会を子供の頃から、増えれば、
バリアフリーに対する無理解から始まる問題は少なくなるのでは、
ないでしょうか?今までの社会の中では、どうしても何らかの障害の
ある方と、健常者の方との勉強などの場は別になってしまって
いました。でも、障害のある方と一緒に協力をして何かをしたりする
ことは小さな子供にとってこれほど、大切な勉強はないと思います。
早く学校などで、そういった障害のある方も一緒に勉強ができるように
整備を進めていかなければなりません、そういった経験が将来
大きなバリアフリーを進める力になるのですから。
正直なところ、バリアフリーの問題は、個人個人が精神的な部分で
理解を深めてゆけば、物理的な部分は、それに伴ってバリアフリーが
進んでゆくものだと思います。バリアフリーが進まないのは、
そういった意味で、意識面でのバリアフリーが進んでいないせいで
あるといえます。意識の面でのバリアフリーが進まなければ、
物理的な面でのバリアフリーも進まないでしょう。ただ、物理的な
面で、バリアフリーを整備すれば、バリアフリーは終わりでは
ないのです。
本当のバリアフリーは意識面でのバリアフリーも含んだもの
なのです。

具体的にどんなことをすれば良いの?
まず、バリアフリーを薦めてゆく上で必要なことは、私たちの
暮らす町の公共施設をそういった障害を持った方でも、自由に
使えるように、少しずつでも改修を進めてゆくことです。
全ての建物にエレベーターを設置するというのは、どこまで可能なのか、私は専門化ではないのででわかりませんが、少なくとも、
多くの人が買い物をしたり、働いたりするようなビルなどには
エレベーターを必ず設置してゆくようにする必要があるでしょう。
学校などの施設でも階段しかない建物などがありますが、
今後立てられる様な施設には階段以外にエレベーターの設置は
出来る限り必要なことだと思います。
車椅子の方や、何らかの障害のお持ちの方でも、自分の力で
移動したり、怪我をする心配をしなくても良いように、建物内や
道度から、段差を減らしていく必要が絶対にあります。
今から、全ての町の建物や道などから全ての段差をなくすと
いうのは一瞬で、できることではないかもしれませんが、
少しずつでも、私たちはそういった努力をしなければなりません。
今あるトイレなどは、障害のある方でも利用できるように改良
されているものが多くなってきましたが、それでも、完璧かと、言えば
まだまだ、利用しにくい部分などが沢山あると思います。
また、目の不自由な方が、道を歩くときにご利用される、誘導用の
ブロックなどももっと、増やしていかなければならないと思います。
今、そういった、改修をしている町や建物などが多いですが、
それでもバリアフリーが完璧にできているかと言えば、まだまだ
バリアフリーが完全に出来ているとはいえないというの現状で
あるような気がします。
車椅子の方でもご利用をして頂きやすいようなトイレなど、
車椅子用のトイレの中に、非常の際の呼び出しボタンを設置したり、
また、そういった方でも利用しやすいような手すりの工夫なども
必要でしょう。 エレベーターなどに設置している誘導用の
点字ブロック等も、実際に目の不自由な方の意見を聞きながら
設置していかなければ本当に使いやすいものにはなりませんよね。
また、エレベーターなども、車椅子の上からでも操作しやすいような
高さにしなければなりませんし、床の形状や、そういった
実際に利用される方の意見を聞いてゆくと、色々な新しいことが
沢山わかりますので、どんどんそういう意見の交換をしてゆき
施設などの改修をしてゆくことが、バリアフリーを進めることに
なるでしょう。
やはり、バリアフリーを進めてゆく上でもっとも大切なことは、
そういった方の気持ちを知るための、努力をもっと、社会や町で
積極的に進めて必要があるということでしょう。
私たちは町で、何か障害を持った方がいれば、できる限り、その
方の力でできるように見守り、もしそういった方が何らかの手助けを
求められるのであれば、喜んで手を貸していかなければならないと
思います。それは、色々な意味でとても大事な事だと思います。
そういった一人ひとりの、行動が、本当の意味で、私たちの暮らす
社会をバリアフリーな社会に変えてゆくのではないでしょうか?
これからの、世の中には、障害を持った方の能力を求められる
様な機会が、今以上にどんどん増えてきます。
日本は超高齢化社会を迎えようとしていますが、これからの日本の
社会の豊かさを左右するのは、障害者の方がどれだけ、社会の
中で、その力を存分に発揮して活躍できるか、また、そういった
社会的なバリアフリーの基盤が完成されるかどうかということに
かかっていると私は思います。
バリアフリーを考えるときに何か健常者が障害のある方のために
ボランティアをするというイメージをもたれてしまっている方、今でも
多いのかも知れませんが、それは大きな間違いです。
社会全体が発展してゆくためには、障害のある方の力が絶対に
必要なのです。大切なのは、障害のある方を助けるという事では
なくて、障害のある方に、活躍をして頂いていただける場所が
あるはずなのに、そういった場を作ろうとしない、そういった方の事を
まったく知らないということをなくしていかなければならないと
思います。
バリアフリーとは、究極的には、障害のある人、ない人という
観念すら忘れてしまうくらい、障害のある方が、社会の中で、
健常者の方と一緒に協力してゆける社会だと思います。
(障害があるとかないというのは、実は数の問題で、たまたま
足を使って歩く人が多いので、そういった方が生活しやすいように
町などが整備されているだけなんですよね。)
健常者の方が、体に何らかの障害のある方の、不自由さを理解する
事は、とても難しい部分があります。
健常者の方からすると、そんなことが、不便であったり、障壁に
なってしまったりするのかと、驚いてしまうようなことも多いと
思います。
少しずつしか出来ないかも知れませんが、私自身もそういった
ことについて少しずつ理解して、出来ることがあれば、してゆきたい
とおもってます。 (〃^¬^〃)
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